昭和の時代は今とは違う登山ブームの時代があった。
その頃の悪しき習慣で、山小屋に泊まった人たちは皆、小屋の壁や柱に記念の落書きやナイフで名前を刻んだりしていた。
ここ奥手稲の山の家もこんな状態・・・
高校生の頃の話・・・
クラスの何人かを誘って夕張岳に登りに行った。
山の魅力に取りつかれた仲間たちは、夏休みには大雪山の縦走に行こうと盛り上がった。
計画は愛山渓〜トムラウシ温泉まで5泊6日予備2日
メンバーは6人
初日、愛山渓倶楽部に泊まり、翌日は黒岳まで足を伸ばす。キャンプ場にテントを張りワイワイやってたのだが、夜半から激しい雨。
早朝、石室に逃げ込む。小屋の壁は案の定、落書きだらけ・・・。我々も隙間を見つけて記念サインを!
1日停滞して、次の日は白雲岳の小屋へ。雨、雨、雨で3日間停滞。
改築されたばかり白雲避難小屋は快適だったが、さすがに3日間もごろごろしていると退屈で死にそう!
そのうち、誰かが例によって落書きを始める。右習えで、全員で寄せ書き!
ご丁寧に学校名まで入れて!
4日めも雨だったので、さすがにこれ以上は進めず、銀泉台へ下山。
山から帰ってまもなく、夏休みの残りをダラダラと過ごしていた俺んところに学校の校長先生から緊急呼び出し!
「とにかく来い!」と・・・。思い当たる節はないのだが・・・。
夏休み中の学校へ行ってみると校長、えらい剣幕
落書きを見つけた岩見沢東高校の先生から「同じ、空知の人間として恥ずかしい」と・・・。
校長はすぐに消して来い!と言う。
そんな18歳の高校生が、何度も大雪山に通える訳がない・・・しょ!
「いいですか、校長!山っていうのはですね・・・」と校長に反論。
「僕がおとなになったら、消してきますんで!」という返答で妥協してもらう。
その後、何度か白雲岳小屋には泊まっているのだが、あの落書きはどっかに行ってしまったようで、見つけられない。
まぁ、昭和の時代の悪しき習慣でしたね!
今では、なるべく他の登山者のお手本となるよう心がけて行動するようにしてますんで、ご勘弁を!
迷沢山送電線下を滑り下りる。(元高校生)
posted by ノマド gaidorepo-to at 15:42|
山スキー
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